カルカッタ駅で見たディーゼル機関車


同じく蒸機機関車
 
【1978年12月】

カルカッタは喧騒の街だったという印象があります。はじめに行ったときは夕方で、ガンジス川にかかる橋は1本しかないので、人も、車も、荷車も、路面電車までが殺到してすき間がないほどでした。交通ルールなんてものはないので、車はクラクションを鳴らしっ放しで、うるさいこと。

 


周囲が黄色い煙で覆われ、へんな臭いがするようになりました。これは夕食時、牛糞を燃料として一斉に使うためだそうです。

カルカッタ駅の構内も寝泊まりしている人がいっぱいいて横になっていたりしてホームに着くまでが大変でした。



電車もあった



地下鉄の切符

【1980年5月】

2回目のときは、現地の日本語がしゃべれ目ガイドホールさんが付いていたのでまだ楽でした。それでも地下鉄があるというので切符を買いに行くと下から誰かが引っ張る、下を見ると子供がめぐんでくれと手を出していました。

哲学者のようにじっと動かずにいるターバンを巻いた老人も、ポールさんに言わすと「何もすることがないので動かないだけっ」ということでした。

 
とにかくポールさんは日本語の他にいろいろな言葉が話せるし、地理にも詳しいので寺に行きたいと言って連れて行かれたのが“ジャイナ教”の寺院でした。確かジャイナ教というのは生物は植物も含めて食べないという宗教だっと言ってたと思います。中では神秘的なお祈りをしていました。



ジャイナ教の寺院


   


カルカッタには路面電車が走っていた。手入れは余り行き届いている感じではなかったが、次々にやってきた。