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大正14・15年に元信濃鉄道(現大糸線)が日本車輌本店で製造。昭和30年に国鉄から払い下げを受けたもの。国鉄からの払い下げに関し、一部車両は現物と書類上の番号が異なっている。木造でダブルルーフの屋根を持っていた。クハ51(2代目)は昭和35年10月小布施駅付近の踏切でトラックと衝突大破。車体は物置となって須坂駅第2車庫の横に残っていた。台車も須坂車庫の仮台車として使用された。 昭和36年9月、日本車輌東京支店で鋼体化。1100系3両は鋼体化改造といっても、再用したのは電動機・制御器・ブレーキ関係のみで、車体・台枠・パンタ・連結器は新品、台車・電動機は他社の中古というわけで、鋼体化を名目にしたセミ新車といっていい。モハ1101と1102の違いは1101は正面非貫通、1102は貫通式。1101+1102+1151の3両編成を組んでいた。1150形は1000系電動車とも連結運転ができた。台車はUD−26。
市街地地下化後も残ると思われたが、河東線用として両運転台ではないことから、昭和54年1月11日、豊橋鉄道と伊予鉄道に譲渡。豊橋鉄道渥美線では600Vに、モハ1101は台車を国電DT12形にはきかえ、クハ1151はUD−26でそのまま。前照灯を角形ケースのシールドビーム2灯化。前面方向幕取付。1998年、渥美線の600Vから1500V昇圧のためで廃車された。 信濃鉄道から来た3両の木造電車の外観は、機芸出版社の「陸蒸気からひかりまで」で見ることができる。買収私鉄の電車たちと題して、旧広浜鉄道、旧富士身延鉄道に混じってペン画で書かれている。それによるとヘッドライトは窓下の通称おへそ、全長17メートル、デハ1・デハユニ1・ホハ1の3形式があると書かれている。台車はブリルMCB、パンタはウェスチングハウス製。トラス棒付き。 長野新幹線の開通により、元信越線の「篠ノ井−軽井沢」が第3セクター化され「しなの鉄道」になった。漢字とひらがな、私鉄と第3セクターの違いはあるが信濃鉄道が復活ということになる。 |
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1100系はクセのないシンプルな非常に作りやすい形態をしている。そのためもあって16番とNゲージの2回模型化している。台車はいわゆる日車形D−16がそっくりで代用できる。屋根はガランド形ベンチレターを付ければいい。 |