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2002年夏、木島行き代替パスに乗る。乗客は4人。信州中野着の電車に接続している。バスは他の車に遠慮するかのように時々道路の幅の広いところで追い抜かせてゆっくり走る。停留所は木目柄が新調されていた。途中で乗ったのは1人。これでは廃止されても文句はいえない。料金は信州中野から木島まで520円。都会の均一料金に慣れているとかなり高く感じる。時刻表を見ると朝の通勤時間帯のみバイパス経由で、途中停車しないで走るので早く着くようだ。
私が高校時代は、長野電鉄では唯一の手動ドア車、河東線専用、元東武鉄道400系で通っていた。木島線には長野からの特急が走っていたし本数も多かったから、廃止されるのであれば河東線と思い込んでいた。それといつから河東線ではなく、屋代線と呼ぶようになったのだろう。 |
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要するに私が高校に通っていたときだけ木島線に特急が走っていたというわけだ。 |
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「トレインギャラリーNAGANO」に行ったときに井上−須坂間のみだが、屋代線に乗った。座席がほとんど埋まるほど乗客はいた。木島線の廃止が報道された2001年3月18日、信州中野−木島間に乗ったが乗客は少なかった。これでは廃止もやむなしと感ぜざるを得なかった。3月というのに木島駅には1メートル近くの雪。廃止の理由には豪雪地帯なので除雪のたいへんなこともあると思う。屋代線はほとんど除雪が不要だし。そのときの写真を以下に掲載。 |
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木島駅 |
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信州中野駅 |