←西桑名駅置いてあった
  てくてくまっぷ
  「北勢線散策コース」のイラスト

近鉄北勢線に行こうと思ったきっかけは、地元の方からいただいたメールだった。「北勢線の廃止が決定して来年にはなくなるので撮影に来てください。」というものだった。

もともと近鉄のナローにはそれほど興味はなかった方なのだ。花巻の馬面電車や、明延の十円電車太平洋炭鉱のノッポ電機のような強烈な個性がなかったこともある。大近鉄の傘下であったこともある。新型の車両に置き換わっていたし、廃止になることはあるまいと思い込んでいたのだ。新型の車両も切妻で私にとっては味気ないものだったし……。

それからインターネットで北勢線の現状を調べる。地元では廃止が大きな問題になっていて、ホームページでも廃止反対の署名を募っていた。廃止反対の根拠として、乗客数は少なくないとも書かれていた。そして日本では珍しい「特殊軌道」と書かれているページが多い。「軽便鉄道」は死語??。

廃止になるといわれて考えてみると、現在日本に残っている軽便鉄道で旅客の定期運行をしているのは近鉄の北勢線と内部・八王子線だけだ。と考えると、久々の軽便鉄道に行ってみようと思うようになっていったのだ。


7月から8月の中旬までは、猛烈に忙しかった。夏休みが終わって9月になると少し時間が取れそうなので北勢線行きを予定した。本当に動いているトイトレインは久しぶりだ。行くとなると多少でも安くあげたい。以前のように行きと帰りは夜行列車にすれば宿代は浮く。普通列車の大垣行きはなくなったと聞いていたので時刻表を見ると「快速ムーンライトながら」があった。小田原まで指定券が必要にななっていた。昔の大垣行きは空いていたので当日買えばいいと考えていたが念のために駅で聞くと「指定券がないと乗れない」とのこと、指定券だけとりあえず購入しておく。

9月の連休に決行。出かける前ってワクワクする。年をとっても昔と同じだ。会社から夜の東京駅に向かう。ホームライナーが止まっていて、それが発車すると快速ながらが入ってきた。

約2時間ぐらいしか眠れなかったような気がする。予定どおり名古屋駅から関西本線で桑名に向かう。以前はディーゼルの長い編成が走っていた。電化されてはいたがワンマンの2両編成。走り出すと以前は緑の間に工場があった記憶があるが、桑名までずっと宅地が続いていた。20年以上経ったのだと実感。

以前の西桑名駅の記憶はあまりない。ただ車庫があって車両がたくさん置かれていたのは覚えている。TBSの噂の東京マガジンで桑名駅前のショッピングビルを取り上げていた。ホームページでそれが以前の北勢線車庫の跡と書かれていたからそうなのだろう。確かに廃墟という感じのビルになっていた。


この敷地に車庫があったらしい

桑名駅から長い歩道橋を歩いて行くと雑誌で見たことのある北勢線の車両が止まっていた。西桑名駅だ。単線のホーム。以前はたくさん線路があってひっきりなしに電車が発着していた。軽便なのにすごいダイヤだと驚いたものだ。その面影はない。


 
跨線橋上から見た西桑名駅、右は平成15年3月31日で北勢線終了の看板

北勢線の一日乗車券のようなものはないかと窓口を見る。あるのは近鉄全線のもので高い。三岐鉄道が引き継いだら一日乗車券を出せば利用は結構あると思う。それと画一的な車両をなんとかしてほしい。せめて塗装だけでも。

とりあえず終点の阿下喜まで乗ることにする。懐かしい釣り掛けモーターの音だ。西桑名を出ると朝早くのこともあって駅ごとに列車交換がある。窓から景色を眺めながら、インターネットからプリントアウトした路線図に撮影したらよさそうな個所を書き入れる。車庫のある北大社までは畑の中を走る。北大社を過ぎて少し行くと山の切り通しを時々走る。同じ軽便電車である下津井の羽鷲山を超える風景によく似ている。線路も草の中を走る部分もある。駅はほとんど無人になっているが駅舎は古くはない。側線が取り払われている駅も目立つ。昔は賑やかだったことと思う。


朝は交換風景が多く見られる

無人駅では車内補充券か乗車票


西桑名からの電車に乗客は結構あった。北大社を過ぎると少なくなった。北大社から先は存続しても苦労するだろうなと思っていたら阿下喜からかなりの乗客が乗った。長野電鉄木島線に廃止1年前に乗ったとき乗客の少なさに、こりゃ廃止されてもしかたがないと感じたが、北勢線はそれに比べると確かに多い。

 
阿下貴駅に貼ってあった、存続決定の講演会・パネルディスカッションのポスター

まず北勢線の最も有名な撮影ポイント、眼鏡橋に行くことにする。時刻表を見ると12時を過ぎると2時間列車が走らないからだ。インターネット上では眼鏡橋は楚原駅からと書かれていたが阿下喜寄りの上笠田駅で下車して歩くことにする。楚原駅で列車交換があるから阿下喜行きの列車が撮れるという計算。神社のすぐ前を北勢線が走っている。これもインターネットで見たとおりだ。昔は数少ない雑誌しか情報源がなかったのに比べるとインターネットの威力を感じる。

 
北勢線の有名撮影ポイント「眼鏡橋」、右は時刻表

神社を過ぎて眼鏡橋に向かうと計算どおり阿下喜行きの電車がやってきた。撮影後眼鏡橋近くに向かうと時刻表が道の横に貼ってあった。さすがに有名な撮影ポイント。近鉄のサービスかなっ。ここでもう少し粘る。次の上下2本を撮影しようというわけ。神社に戻って時間をつぶす。

 
神社のすぐ前を北勢線が走る。右は神社から上笠田方面を見る。

北勢線は昼でもライトをつけて走っている。踏み切りでの安全のためだろうか。向こうからライトが見え西桑名行きがきた。神社の近くで撮影、そのあとまた眼鏡橋に移動。上下2本が撮影できた。次の西桑名行きに乗らないと2時間待つことになるので今度は楚原駅に向かう。これが道がわからない。住宅街の中の道なので線と駅が見えないのだ。なんとか駅に着いたが楚原駅より上笠田駅から行った方が絶対にわかりやすい。住宅がないから線路際を歩いていけばいい。時間も早いような気がする。小さな駅だけど。

 
左:楚原駅、右:北大社駅の車庫、2つの駅には駅員がいる


楚原駅から北大社駅に向かう。車庫があるし、来るときに北勢線では唯一特徴ある連接車の200型がとまっているのが見えたからだ。下車して車庫の回りを歩き200型を撮影。通常北勢線の車両は3両編成なのだがこの編成だけ4両編成。元々は3両固定編成のモ201+サ101+モ202のはずだが、1両増やして4両になっていた。連接車のパンタは撤去されていたので電動車は1両で3両を牽引するのかな。車庫の裏に北勢線電化とともに製造された凸型電機機関車デ45の台車があった。これもインターネットで見たとおりだ。

 
北大社駅で左:連接車、右:デ45の台車

坂井橋駅に向かう。来るときに橋があってそこから狙うと決め手いたのだ。道は車が多く、端を歩くのが怖い。ここで上下2本を撮影。途中大きなスーパーがあったので昼飯がわりにパンを買う。

  
左:坂井橋近くの橋、右:北勢線車内、カバーが掛かっているのはワンマン運賃箱

次は馬道駅。西桑名を出たあとJRと近鉄をオーバーして行くところを撮影のつもり。阿下喜駅のポスターには上を北勢線が走り、下を近鉄とJRが走っている見事なカットが入っていた。まっ、これはよほど運がよくなければ撮れないし、地元のマニアではないと無理。

 
左:JRと近鉄をオーバークロス、右:馬道駅

北大社から西桑名間は多くの列車が走っている。何本か撮影。やっぱり3列車同時に走っている写真は撮れなかった。西桑名までは歩いて行く。これも有名な幅の違った3つのレールがある踏切を通るためだ。途中、「北勢線桑名駅乗入反対」と書かれた看板を見る。いろいろな考えの方がいるんだ。

 
左:北勢線、桑名駅乗り入れ反対の看板、右:3つの幅の線路を横切る踏切

   
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