★昭和46年11月★

撮影旅行はいつも周遊券を買う。交通費の心配はこれでいらないし、あとは宿代を考えればよいからだ。新宿発最終急行アルプス(懐かしい〜)で松本へ。松本からは普通列車でUターンして上松(あげまつと読む)へ向かう。

電化工事が真っ最中の中央西線・上松駅の線路をはさんで山側に町並みがあり、反対の木曽川沿いに大きな貯木場がある。さっそく跨線橋を越えて貯木場に行ってみる。ちょうど木曽福島方向からD51の引く貨物列車が来るシーンとして何も音がしない。そうだ今日は日曜日なのだ。木曽森林鉄道は営林局の管轄で、営業路線ではないのだ。しかたないので大きな貯木場を歩いてみる。ホームらしきものの上までレールが敷かれ、ホームの下にはちょうどトラックが入れるようになっている。多分切り出した材木を運材車でここに運びトラックに移すのだろう。貯木場のレールは一部で国鉄のレールに交わり3線式(箱根登山鉄道の小田原〜箱根湯本と同じ)になっていた。

木曽福島機関区に行ってみる。当時の中央西線は電化工事中でまだ蒸気機関車がたくさん走っていて、D51の貨物列車の間に、正面をゼブラに塗ったC12が何回も往復していた。

【空の運材車の向こうをD51が走る】

上松に泊る。地元の人は木曽森林鉄道(これも正式名ではないのだが)を林鉄と呼んでいた。町には林鉄廃止反対の看板がかかっていた。翌朝の三浦ダムに行く列車に合わせて宿の人に起こしてくれるように頼む。なにしろ人が乗れる定期列車は1日に1本しかないからだ。

あんなに起こしてくれと頼んでおいたのに、宿の人は忘れてしまった。ガッカリして貯木場へ向かう。今日はディーゼルやウィンチなどの音で騒がしい。人も大勢いる。掃除をしているオバチャンが「向こうにデゴイチがあるから、行ってみれば」と言う。このころSLブームで一般の人はデゴイチとは蒸気機関車のことだと思っていたのだ。

【小屋に保存されていたボールドウィン】

オバチャンの言うデゴイチとは林鉄のボールドウィン製蒸気機関車のことで、貯木場のはずれの小屋に保存されていた。事務所の下に行くと、「これが鍵だよ」と上から投げてくれた。鍵を開けるとあった、以外にきれいに磨かれている。鍵を返すと「午後、臨時列車が出る」と言う。ヤッタ!!

【運材車改造の、このような客車に乗る】

空の運材車の後に人車が2両つがれていて、中には虎ノ門病院の看護婦さんのグループがすでに乗っていた。走りながら営林局の人に「ここは急坂で蒸機時代は勢いをつけて登らないとダメだった」とか、「三浦ダムができて線路が沈んでしまうので、レールを敷き直した」とか、いろいろ面白い話を聞いた。まわりに森林鉄道ならではの風景が続く。

【貨車も運材車の改造】

寒くなってきたので、途中で石油ストーブを入れてくれる。終点三浦ダムに30分位いて折り返す。帰りは周りが暗くなってきたのと、あまりよくない列車の揺れの中で眠ってしまった。


三浦ダムのキャンプ場を名鉄が買い取って売り出すと聞いたが実現されることはなかった。