※昭和45年2月11日〜13日まで、土・日を使って会社が終わって夜行に乗り、寝て移動、
能登の民宿に1泊、帰りも夜行に乗り、朝着いたらその足で会社に行く。
夜行列車も周遊券のため、寝台に乗ると急行と寝台料金が必要なので
座席車両という、体力と気力があったころの話。


小松製作所と自衛隊小松基地で有名な、国鉄小松駅に降りる。ホームから直角にのびる北陸鉄道の線路がある。平行したホームはよくあるが、直角にのびるのは珍しい。目指す尾小屋の始発駅「新小松」は見あたらない。駅員に聞くと、小松街を通り抜けたところにあるという。国鉄の小松駅から離れていた。

尾小屋鉄道のいちばん列車は7:08発、ホームに行っても客車が駅の端に置かれていて動車はない。新小松の駅舎は閉まっていて、入口に裸電球がひとつ光っているだけ。外はまだ薄暗いのだ。

しかたなく広い道を隔てた小さな数本しか線路のない留置線に行く。あった。立山重工製のNo.5蒸気機関車がある。ディーゼル機関車もあった。廃車になった客車が2両放置されている。その他に、鉄道事業は不振らしくバスの方がたくさん置いてある。その隣にずっと続く線路が尾小屋へ行くのだろう。

駅舎に戻り待合室の扉が開くのを待っていると尾小屋へ行くと思っていた線路から、ディーゼルのエンジン音を高らかに、向こうが見えないほどの満員の通勤客を乗せてやってきた。

客の多さと、てっきり機関車が客車を引いてやってくるのかと予想していたのを裏切られた驚ろきがあった。

車掌は降りる客を確認し、いない場合は駅を通過する。途中で鉱山跡や石切場を眺めて、坂を昇りきると終点の尾小屋駅に着く。駅は川の上にある。構内はターンテーブルなどひと通りは揃っているがこじんまりとしている。駅員はいない。運転手と車掌が無人の駅舎に置かれた石油ストーブで次の発車まで暖をとっている。

尾小屋に行ったのは昭和45年2月12日。ちょうど値上げの一日の前で、新・旧運賃表が並んでいた。

七尾線で能登へ。途中C58の引く「おくのと号」に会う。輪島の民宿に泊まり、翌日は朝市で冷やかし、観光バスで能登を一周。「千枚田」は姨捨の田毎の月より田の大きさは小さい。「塩田」や「輪島塗」などひと通り観光する。能登には難読地名が多い。狼煙(のろし)とか、九十九(ツクモ電機ができたので、今では難読ではないか)。アイヌ語の名残だそうだ。ここに住んでいたアイヌが追われて北海道まで追いつめられたのだという。