実は下津井のカラー撮影は失敗している。マミヤフレックスでカラーを撮ったのだが、1度撮影したフィルムをまた使ってしまって、二重に写ってしまった。井笠鉄道から来ていたオレンジ色のディーゼルは運良く二重になっていなかったもの。それで下津井電鉄のページは写真が少なかったのです。茶屋町・児島間の廃線跡の写真はモノクロで撮影してあったので掲載します。

児島駅に新入する
モハ103+クハ24
反対側が茶屋町方面
児島駅から
レールが取り払われた
茶屋町方面を望む
休者になっている
古い客車とクハ
児島駅構内
夜の児島駅
休車や取り払われた
レールが置かれててた
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上の児島駅構内で休車になっているクハは、単端を2つに切って客室部分だけををつなげたものだと、岡山の本社から来た総務部長さんが教えてくれた。なるほど。だから路面電車のように、先頭が細く絞ってあるわけだ。

 

これが元になった単端の図面。



●下津井でもらったもの

左:下津井1号蒸機図面
約束どおり送ってきた、ユング社製蒸気機関車の図面。これを含めて蒸機は3種、客車、貨車、ガソリンカーなどいろいろ送っていただした。
右:昔の路線図
巻物のように長い路線図。平面と立面とがいっしょに書かれている。長いので表紙のみ。多分ジャバラに折って使ったのだろう。

   

臼井茂信著/機関車の系譜図2 <華麗なる競演>から抜粋
ARNOLD JUNG アルノルト・ユンク(ドイツ)

日本では鉄道聨隊の特殊機を除いて、全部でわずかに8両しか確認されておらず、低調な取引に終始した。ユンクは既製品とはいえ、形も品質も悪くはなかった。デザインはヘンシェルの小形機を手本としたと思われ、飾り気がなく機能本意であった。





【井笠鉄道9号機】

笠岡の道路下に保存されていた9号蒸気機関車。子供の遊び道具になっていた。魅力あるスタイルとは、どう見ても言えない。

◆  ◆  ◆

鉄道ファン12月発売の2000年1月号に吉川文夫氏が、この蒸機の最近の様子について書かれている。それによると第三セクター井原鉄道の駅近くの七日市公園に移されている。屋根はない雨ざらしの保存。また、この蒸機の保存先は何回も変わっていて、くじ場駅構内→笠岡児童公園(これが私が撮影したもの)→京都桃山公園→井原駅前と書かれていた。



 

臼井茂信著/機関車の系譜図2
<華麗なる競演>から抜粋
COCKERILL コッケリル(ベルギー)
わが国との取引はというと、まことに僅少で、輸入はドッドウェル商会が扱い、わずか2両しか例がない。1910年/釜石製造所で導入
1924年/雨宮製作所で改造

1939年/釜石製造所で改造

第2次対戦後/井笠鉄道

コッケリルを偲べるのは足廻りのみ。蒸気溜の大きな特殊な外観をしていたが何度かの改造で変哲のないスタイルになった。