大正15年に河東鉄道が汽車会社(現川崎重工業)東京支店に注文した半鋼製車。完成したのが長野電気鉄道と合併した後の12月のため、受け取り主は長野電鉄となっている。車体はモハニ130形とまったく同じで当初は同形式だったが。昭和4年に制御方式をHLから電制付きのHBとしたため形式を異にした。昭和2年にHB制御方式の新車600系4両を購入しているので、これと連結できる荷物合造車が必要になったために制御方式を変更したのだろうか。この形式は荷物室合造車のみで従って530形しかない。
台車他は100系と同じ汽車会社BW−A形(ボールドウィンタイプ)、運転台はH棒仕切の開放式。運転席は中央。窓はすべて落し窓。パンタはWH(ウエスチングハウス)系。床下にトラス棒付き。プレス扉で自動化もされている。
昭和28年の形式見直しでモハニ510形に、10番台は荷物室を持っている車両に与えられていたが、1000系の荷物室を客室に改造した車両を10番台としたため、新たに荷物室を持っている車両は30番台になったためモハニ530形に。
モハ530形は荷物室だけの形式なので、ここで荷物室への乗り心地を少し。高校時代はゲタを履いて通っていた。雪が降ったぐらいでも素足にゲタ!。男はコレぐらいじゃなくちゃぁと言うのは冗談で、時代がそんなだったのである。当時でも荷物は少なく、たいてい空で走っていたから、荷物合造車にはだれでも乗ることはできた。ただ、床は凸凹のスノコなので歩きづらい。夏の荷物室のいいところは、手動扉だったから走り出して扉を開ければ風が大量に入ってくるのだ。一方、冬は暖房が荷物室のため付いていないのであまり乗らなかった記憶がある。
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