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日立製作所笠戸工場製造。国鉄ED15形を小形にした形で外形はほとんど同じ。台車は板台枠。ED5002とED5003は途中で台車を交換している。パンタは当初日立A−3が2基。後に2つのパンタのうち1つをWHタイプに変えたので、前後でパンタグラフの大きさが異なっている。 |
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今はなき「しなのマイクロ社」からエッチング板加工の国鉄ED15がまず発売され、ほとんど同じ形の長野電鉄ED5000も続いて発売された。エッチング板組立の弱点は凸凹が少ないところ。手すりなどを加えてウエザリングを施すと立体感が増す。 |
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北海道の定山渓鉄道が昭和32年4月に三菱電機で製造。昭和44年10月末、定山渓鉄道が廃止になり昭和45年4月15日に長野電鉄にやってきた。正面は当時流行の湘南形2枚窓スタイル。ブルーに黄色帯の塗装で、国鉄乗り入れの客車の先頭に立つ姿が似合っていた。長野電鉄貨物廃止にともない昭和54年9月4日越後交通へ譲渡。1B149という鋳造台車を履いていた。 |
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信じられないかもしれないがトミーの初めのNゲージ製品は香港製だった。電気機関車ED75と客車に入換用のフリーのディーゼル機関車、それにフリーのCタンクが発売。ちょっと粗製ではあったがCタンクの走行部分は軽便鉄道の蒸機に流用ができて貴重品でもあった。そのED75に湘南形前面を付けるとそれらしくなる。台車は同形が市販では見あたらないので、塗装でごまかすしかない。側面窓もごまかしている。Nゲージは雰囲気第一が私のモットー。 |