2002年夏、木島行き代替パスに乗る。乗客は4人。信州中野着の電車に接続している。バスは他の車に遠慮するかのように時々道路の幅の広いところで追い抜かせてゆっくり走る。停留所は木目柄が新調されていた。途中で乗ったのは1人。これでは廃止されても文句はいえない。料金は信州中野から木島まで520円。都会の均一料金に慣れているとかなり高く感じる。時刻表を見ると朝の通勤時間帯のみバイパス経由で、途中停車しないで走るので早く着くようだ。
木島駅には廃止のときに掲げられた横断幕が、まだそのまま残っていた。駅の待合室はバスの待合室になっていて前の半分の広さ。事務室が広くなっていたのだ。ホームに入るドアには閉切りの貼り紙があったが鍵はかかってなく、入ることができた。ホームの隅に子供の字で「ありがとう木島線」の寄書。これも廃止の日に使われたものだ。
線路は錆びてはいたが草は思ったより繁っていない。架線もそのままだったから走らそうと思えば走らせることができる感じ。ホームから降りて雪覆いや保線小屋をのぞく。それから信濃安田駅方向へ歩いてみる。なぜか一ヶ所ポイントが外されていた。信号機は根元から切断されている。踏切まで歩くと道路から線路に入れないようにロープがはってあり、遮断機も根元から切断されていた。踏切のレールの間はアスファルトで埋められて、段差がないようになっていた。
木島まで戻りバスで信州中野へ。乗客は2人と来たときより少ないので、左右に席を移動して線路を見ていく。ところどころ草が線路を覆っている箇所もあった。まだ廃止から5ヶ月だからいいけど、来年はきっともっと草に覆わていることと思う。まあそうやって、だんだん昔そこに線路があったという感じになっていくのだろう。

左:信州中野駅の木島線ホームに向かう跨線橋にはロープが貼ってあった
中:電車内に貼られた代替バス時刻表(右)電車より本数は多い。
右:代替バスの停留所。木目調で新製。 |
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左:木島駅の外されたポイント
右:廃止の日の寄せ書き |
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左:踏切は進入禁止のロープ
中:木島駅の待合室。時刻表は白い紙で被われている
右:木島駅の名所案内は草の中 |
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私が高校時代は、長野電鉄では唯一の手動ドア車、河東線専用、元東武鉄道400系で通っていた。木島線には長野からの特急が走っていたし本数も多かったから、廃止されるのであれば河東線と思い込んでいた。それといつから河東線ではなく、屋代線と呼ぶようになったのだろう。
今回、改めて「長野電鉄60年のあゆみ」を見ると…… |