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撮影当時のながでんの駅は跨線橋はなく、向かいのホームに行くのにはレールを横切って渡る方式。車庫のある須坂駅だけ、地下道があった。長野線の桐原駅は郷土玩具の「わら馬」で有名で、駅の入口の左のガラスケースに「わら馬」の現物が飾ってあった。 |
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地下駅になる前の権堂駅の須坂方向の踏切。小さな小屋があって、旗を持った女性の踏切手がいた。右の裏は、長野電鉄の観光バスの発着所になっていて、さらに進むと本社・権堂駅に通じていた。ここも線路が地下になり、現在は長野大通りという名称になって、広い道路が走っている。権堂駅のあった場所も現在は長電権堂ビルになりイトーヨーカドーが入っている。 |
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長野電鉄は開業当初から電化を予定し、客車はモーターさえ装備すれば電車になる“電車形客車”を計画、発電所と変電所も電気供給事業兼営認可を受けて建設している。 |
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![]() 旧塗装の200系が走り抜ける 電車の合間に、片方のレールに車輪を乗せた手押し車を引いて、線路点検をしている様子に出会ったのが右。 |
柳原陸橋が私の撮影ポイントだったことはプロフィールに詳しく書いた。陸橋なので吹きっさらし。冬で雪が降ると寒かったし、夏は暑く、車が横を走り抜けるので、大形トラックなどは排煙がすごく、あまりいい場所ではなかったけれど、屋根の以外にも走行写真やそれ以外の情景も撮影することができた。 ![]() |
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左は600系が陸橋から出てきた。屋根の上に板が敷かれている。603・604は山の内線配区間用に車輪冷却用の水槽を屋上に乗せていたというが、これはその跡なのだろうか。 ![]() 特急2000系がやってきた。 ↑クリックすると 大きな画像になります。 |
このバイパス柳原陸橋の下をながでんは単線で(一駅手前の朝陽まで複線)走っているが、陸橋下の線路スペースは複線分とってある。将来、複線区間を延長できるようにスペースを確保してあると聞いたことがある。いずれにしても開業時に最大の難関となった村山鉄橋が複線時にも問題になる。 |
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大きな画像でアップしたのは、手前のレールから外された台車の下にいる「ネコ」が見えるかなっ、と思ったから。柳原駅の片隅に架線点検用の木造台車が置いてあった。これもレイアウトを作ったときにいいかも、と思って撮影したもの。無蓋貨車との間の木造4輪台車も面白い。 |