★昭和46年10月27日〜30日★
夜行列車急行銀河2号の寝台列車に2両ある座席車両で大阪へ。
客車は往年の特急「つばめ」などに使われたスハ43に乗って
「明延の1円電車」と「下津井電鉄」へ行った話です。

本で「明延の1円電車」を見て、ぜひとも行ってみたかった。社員が1円で、社員以外は10円の乗車賃と出ていた。正式には三菱金属明延鉱業所と言う、いわゆる鉱山で掘りだした鉱石を運ぶ列車である。

新幹線は、まだ岡山まで。岡山から姫路まで湘南電車80系が各駅停車に使われていた。2等車の3等格下げが行なわれたばかりで、リクライニングシートが残っているサロ格下げサハに地元の客も多く乗っていた。まだ80系は改造は行なわれておらず、原形を保っていた。
姫路から播但線で新井(にい)、そして路線バスで神子畑(みこばた)へ。この辺の地名は発音を省略したものが多いと感じる。有年(うね)、明石(あかし)もそうだ。神子畑へ行くバスの車掌のはっきりした案内は、知らない土地ではうれしかった。聞き取れなくて終点まで行ったことがあるので。道もよく整備されている。

橋を渡ると木造の未張番小屋らしきものがあり、オジサンが座っている。「10円電車に乗せてほしい。東京からやって来た。」と何回も言ってもダメと相手にしてくれない。これは困ったと思っていると、後ろからバス停でいっしょに降りた若い奥さんが「オジサン乗せてあげなさいよ。わざわざ東京から来たんだから。」と強力に後押しをしてくれた。とうとうオジサンは「じゃ〜乗んな」と許可を出し、一転して10円電車の切符と錫鉱石の原石をくれた。お金は受け取らないでタダで乗せてくれた。
10円の乗車券は、厚いボール紙にゴム印を押した簡単なものだった。やがて610ミリの幅の狭いレールの上を、大きなパンタグラフを小さな車体に着けた電気機関車に引かれた列車がやってきた。ちょうど小屋のところが停車場になっていたのだ。

かがまなければ入れない客車に、後押しをしてくれた若い奥さんとともに乗り込む。中で働いている人の奥さんなのだろう。客車は落石からガラスを守るためか、格子で囲まれている。まるで囚人護送列車のようだ。すぐ長いトンネルに入ると中の裸電球は暗く、慣れないとよく見えない。車内にはヘルメットをかぶって顔が汚れた坑夫さんたちが乗っていて、皆こちらをジロジロ見ていた。

トンネルを出るとレールが何本も走っていて、鉱業所らしくなる。前後がよく見えるように横に運転手が座った電気機関車が、鉱石車を引いて何台も動いている。山の斜面に線路を敷いたエレベーターもある。支柱として坑内で使う材木がたくさん積まれている。電気機関車の他に電車もあって、話に聞いたローラーパンタ(下の写真)が付いていた。

新井から2つ先の竹田で泊まる。竹田の先は播但線の終点、和田山。竹田駅前の1階は食堂になっている旅館に泊まる。普段は食堂が中心の様子。朝7時にに起こしてくりるように頼む。

竹田の朝は寒かった。朝靄がかかって数10メートルしか見えない。旅館から駅までは100メートルほどしか離れていないのだが、駅舎の輪郭しか見えない。
姫路城は寄るつもりはなかったが、銀河車中で学生に「いいですよ」と言われたので行ってみる。駅から一直線に城まで歩く。言われたように姫路城はなかなか良かった。山陽線は「庄」が下に付く駅名が多いと感じる。音読みも目立つ。

倉敷をまわって路線バスで、下津井電鉄の出ている「児島」へ向かう。


明延と下津井のカラー撮影では、デイライトとタングステンのフィルムを
間違って使ってしまって、上がってきたときには青くなりました。
デジタルだと色変更ができるので、今回かなり修正をしました。
元のポジは相当に変な色です。