生え抜きと定山渓から来た電気機関車

ED5000形

日立製作所笠戸工場製造。国鉄ED15形を小形にした形で外形はほとんど同じ。台車は板台枠。ED5002とED5003は途中で台車を交換している。パンタは当初日立A−3が2基。後に2つのパンタのうち1つをWHタイプに変えたので、前後でパンタグラフの大きさが異なっている。
定山渓鉄道からED5100が2両入ったのでED5001とED5002は越後交通に譲渡。ED5001は入換用に残った。越後交通に行った2両は貨物扱い廃止により不要になったED5100・2両と入れ替わりに廃車されたが、元ED5002は長野電鉄に帰り、製造当時の塗装と番号502で須坂駅構内にデハニ201(廃車当時モハニ131)と供に保存展示されていた。小布施駅構内に「ながでん電車の広場」が完成し他の保存車両といっしょに移された。


501

502

503
昭和2年日立製作所製造

昭和2年日立製作所製造

昭和3年日立製作所製造

ED5001

ED5002

ED50013

越後交通ED511

越後交通ED512

信濃川田に放置

廃車


ED5003【須坂駅】


ED5001【須坂駅】


ED5001【須坂駅】


502(ED5002)【須坂駅】
小布施駅に「ながでん電車の広場」ができる前は
須坂駅構内に展示されていた。



ED5000【須坂駅】
左に見えるのは2000系特急のD編成


   

模型制作MEMO

今はなき「しなのマイクロ社」からエッチング板加工の国鉄ED15がまず発売され、ほとんど同じ形の長野電鉄ED5000も続いて発売された。エッチング板組立の弱点は凸凹が少ないところ。手すりなどを加えてウエザリングを施すと立体感が増す。


ED5100形

北海道の定山渓鉄道が昭和32年4月に三菱電機で製造。昭和44年10月末、定山渓鉄道が廃止になり昭和45年4月15日に長野電鉄にやってきた。正面は当時流行の湘南形2枚窓スタイル。ブルーに黄色帯の塗装で、国鉄乗り入れの客車の先頭に立つ姿が似合っていた。長野電鉄貨物廃止にともない昭和54年9月4日越後交通へ譲渡。1B149という鋳造台車を履いていた。
定山渓鉄道の廃止の原因の一つは、札幌乗り入れ路線の新設と新形電気機関車への過大な投資にあると言われている。この電機がそれである。


定山渓鉄道ED5001

定山渓鉄道ED5002
昭和32年三菱電機製造

昭和32年三菱電機製造

ED5101

ED5102
昭和45年譲受

昭和45年譲受

越後交通ED5101

越後交通ED5102
昭和54年譲渡

昭和54年譲渡

廃車

廃車


ED5100【屋代駅】
信越線直通の貨物があった。


ED5100【長野駅】
長野駅でも貨物扱いをしていた頃。
ホームに止まっている0系OSカーの運転台越しに撮影。


  

模型制作MEMO

信じられないかもしれないがトミーの初めのNゲージ製品は香港製だった。電気機関車ED75と客車に入換用のフリーのディーゼル機関車、それにフリーのCタンクが発売。ちょっと粗製ではあったがCタンクの走行部分は軽便鉄道の蒸機に流用ができて貴重品でもあった。そのED75に湘南形前面を付けるとそれらしくなる。台車は同形が市販では見あたらないので、塗装でごまかすしかない。側面窓もごまかしている。Nゲージは雰囲気第一が私のモットー。