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昭和26年9月に日本車輌東京支店で製造。1000系とほとんど同じ車体だが、乗務員扉が引戸から開戸に、台車もD−18から住友KS−33E形鋳鋼製に、パンタグラフも三菱S710−C(PS−13タイプ)からS720−A(PS−16タイプ)に変更。制御方式はHL−DになりHL車とは連結ができない。貫通扉は昭和33年3月〜35年3月にかけて取り付けられた。湯田中寄りのみ。 市街地地下化後にながでんを訪ねたときに、モハ1501・1502は河東線用として残って元気に働いていた。1502はの湯田中側妻面の貫通扉がつぶされ、Hゴム化してワンマン化。両端が非貫通となり、製造当時に戻ったことになる。営団地下鉄3000系が入線、河東線用にワンマン車両に改造されて使われなくなった。モハ1501だけは解体されずに、須坂駅構内に長く留置され、ホームページで売りに出されたが買い手が現れず2002年夏に解体された。 |
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昭和27年12月に元電車形客車であるクハ51(初代)、昭和28年2月にクハ52(初代)を日本車輌東京支店で鋼体化。車体はモハ1500形と変わらない。この1550形の特長は長野方にHL、湯田中方にHL−D制御を持ち、1500系とも1000系などのHL車とも組むことのできる重宝な制御車だった。このため貫通口はTcであるが、両妻面に付けていた。昭和33年3月〜35年3月にかけて貫通扉工事。台車は45年式電車用(DT−10スタイル)。 |
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![]() クハ1550形【須坂駅】 旧塗装と新塗装車両の連結 |
向こうに見えるのはOSカー、0系 |
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上に見える跨線橋を渡った右が駅舎 |
ワンマン整備が備えてあった |
↓クリックすると大きな画像が見れます |
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湯田中寄りの正面の3つの窓は Hゴム化されていた。 |
屋代寄りの正面の3つの窓は 製造当時のまま。 |
信越線との接続駅 木造の待合室。 |
1000系と1500系の外観上の違いは、1000系が客室扉下に補強材が見えること。パンタグラフが多少の違いはあるが、大きな違いは台車と貫通扉の有無。これさえ気を付ければいい。日車D−18と45年式電車用(国電DT-10スタイル)は市販されているが、1500形の住友KS−33EがNゲージでは苦しそう。以下にそれを整理してみた。 |
←長野方 |
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湯田中方→ |
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16番では作りかけのまま放置してあるが、Nゲージで模型化した。
初めはグリーンマックスの東急3000系キットを使って、窓配置だけ1000・1500系に合わせればいいかと思い作ったのが右。 結局ペーパーで作ったのが下。屋根は東急3000系のものを流用。1000系の客室扉下の補強材も再現してある。 トミーテックの鉄道コレクションはこんな車両もというものも模型化してくれて、14弾で長野電鉄1003も発売。苦労して購入したが、須坂駅で発売されていてガッカリ。 |
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